聖チリロ隠世修道者 聖メトジオ司教

教会は、聖チリロと聖メトジオの兄弟を2月14日に祝います。この2人の聖人は、教皇ヨハネ・パウロ2世によって、「ヨーロッパの保護の聖人」とされたため、ヨーロッパでは祝日として祝われます。

2人は、9世紀にテサロニケの裕福な高官の家庭に生まれました。チリロは、7人兄弟の末っ子として生まれ、勉学において早くから頭角を現しました。その才能は、父の死後、コンスタンティノープルで教育を受けるようになってからも、抜きん出ていましたが、チリロには自らを神に完全に奉献したいとの強い望みがあり、すでに修道生活を始めていた兄メトジオの後に従いました。

ところが数年後、チリロは、黒海北部の地方の宣教に派遣されます。この地方は、当時、ユダヤ人やイスラム教徒が多く住んでおり、彼らと対等に議論できる人物が必要とされていたのです。チリロは、兄メトジオを連れて宣教に赴き、大きな成果を収めてコンスタンティノープルに戻りました。

この成功もあって、2人はその後、モラビア地方の宣教に派遣されます。チリロは、現地の人々の言葉でキリストの教えを伝えることの必要性を感じていましたが、この地方で話されていたスラブ語には、まだ「文字」がありませんでした。そこでチリロは、出発する前から、スラブ語に固有の発音を表記できるような文字体系を考案します。これが、後に「キリール文字」と呼ばれるようになった文字です。チリロは、この文字を使って、福音書やスラブ語での典礼書を作成し始めます。

このような形で始められたチリロとメトジオの宣教活動は、多くのキリスト者を生み出し、わずか3年半の活動で新たに生まれた弟子たちがスラブ語による宣教活動を継続していけるまでになりました。その後、2人はパンノニアで宣教活動をした後、スラブ語典礼の承認に向け、教皇の支持を得ようとローマに向かいました。教皇は、彼らの活動を支持し、典礼におけるスラブ語の使用に許可を与えました。メトジオは、ローマで、教皇自身の手によって司祭に叙階されましたが、チリロはローマに到着して約1年後に重い病にかかりました。死が近いことを知ったチリロは、かねてからの願いどおり修道者となり、その数カ月後の 869年2月14日に亡くなりました。宣教活動に献身したチリロが、「隠世修道者」と呼ばれるのはこのためです。

メトジオは、チリロの死後も宣教活動を継続します。モラビア・パンノニア大司教区が新たに設立され、メトジオは教皇代理としてこの司教区に派遣されたのです。しかし、このときはすでに、最初に彼らがモラビアで宣教活動をしていた頃とは、政治・社会状況が一変していました。メトジオは、モラビアに入ることができず、パンノニアにとどまることになります。それだけではなく、スラブ語による典礼の導入と司教区の設立は、それまでこの地で活動していたラテン典礼の司祭たちの反発を招き、ついにメトジオは教会会議の決定により修道院に幽閉されてしまいました。

幽閉の期間は3年に及びましたが、メトジオは、ここでも教皇の支持を受け、正式に司教に任じられて、牧者としての働きを再開できるようになりました。その後も、さまざまな反対や批判を受けながら、885年4月6日に亡くなるまで、メトジオは聖書のスラブ語翻訳とスラブ民族の宣教・司牧活動に努めたのです。

チリロとメトジオの生涯は、宣教とは何かということを深いところで示しているように思います。それは、単にキリストの教えを伝えるだけではなく、相手が自分の言葉、自分の文化の中でキリストを心から感じ取り、理解し、受け入れていくことができるように献身するということなのでしょう。そのために、多くの苦難や反対を受けることになったとしても、それを受け入れていくこと、それが本当の意味での宣教なのでしょう。まさにキリストがわたしたちのためにそうしてくださったのですから。

さて、聖チリロと聖メトジオを荘厳に祝うミサでは、ルカ10・1‐9が朗読されます。イエスが72人の弟子たちを宣教に派遣し、それに先立って、宣教の心構えを教える場面です。収穫のための働き手を送ってくださるよう、収穫の主に祈りなさいとの招きの後に、派遣の言葉が続きます(「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす」、3節)。ところが、その直後に、いきなり厳しい現実が突きつけられます。「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」。そして、その後に「財布も袋も履物も持って行くな」と続くのです(4節)。

一つ一つの教えはともかくとして、続けて読むと、これはなんとも理解しにくい教えです。せっかく宣教に派遣しているのに、「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言うのでは、まるでこれから宣教に行こうとしている人の気持ちをなえさせたいかのようです。しかも、それだけ危険に満ちているから、用心しなければならないのかと思いきや、「財布も袋も履物も持って行くな」と続きます。「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。だから、身一つで行きなさい」ということです。

非常に逆説的な言い方ではありますが、この教えは、「神が収穫をしてくださるわざ」としての宣教の神秘を示しているのではないでしょうか。「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言われれば、ついつい身構えたくなります。あらゆる備えをしなければならないと思ってしまいます。しかし、もともとが人間のわざではなく、神のわざですから、人間がいかに身構えたところで、いかに備えを厚くしたところで、足らないのです。神のわざなのだから、神の力が必要であるということ、神に信頼することが絶対に不可欠であるということ、そのためにあえて何も持たないのです。

何も持たないということは、文字どおり大変なことです。次に何が起こるかわかりません。信頼しているからといって、必ずしも必要なものがすべて与えられるとはかぎりません。「どこかの町に入り、迎え入れられたら、出されるものを食べ」なさい(8節、7節も参照)ということは、その逆もありうるということです。つまり、町に入っても、迎え入れられず、何も食べることができないこともあるのです(朗読は9節で切られていますが、10節にこのことが示唆されています)。

信頼するとは、信頼したからすべてうまくいくということではなく、結果として生じる苦労、うまくいかないことなども含めてすべてを受け入れるということなのでしょう。聖チリロと聖メトジオも、信頼して宣教活動を行ったことによって、多くの苦難を経験しました。しかし、彼らは神に信頼し、また同時に宣教の相手であるスラブ人のことを信頼し続けたのです。では、わたしたちは、本当のところ、どれだけ神を信頼し、相手の人を信頼して生きているでしょうか。聖チリロと聖メトジオの記念日にあたって、深く自分の生き方を見つめなおすことができれば思います。

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