聖ポリカルポ司教殉教者

2月23日は、スミルナの司教、聖ポリカルポの記念日です。スミルナという町は、小アジア半島西岸に位置する港町で、交通の中心でもあり、近くのエフェソと並んで非常に繁栄した町でした。パウロの宣教活動を記す使徒言行録には登場しないものの、黙示録ではキリストからの七つの手紙が宛てられた教会の一つとしてエフェソの次に記されています(2・8‐11)。ここから、比較的早い時代にスミルナに教会が誕生し、成長していったことがうかがえます。

ポリカルポは、紀元後1世紀に生まれ(正確な生年は不明)、若くして使徒たちと出会い、特に使徒ヨハネと強いきずなで結ばれていたようです。おそらく、彼がスミルナの司教となったのは、この使徒たちとのきずなが大きな要因だったのでしょう。ポリカルポの名声は、スミルナの町を超えて、その地方一帯、遠くはローマまで広まっていたようです。晩年、ポリカルポが復活祭の日取りについて議論をするためにローマへ赴いたとき、最終的に合意に至らなかったものの、ローマで最後まで丁重なもてなしを受けたことが伝えられています。

ポリカルポについては、リヨンの司教聖イレネオがその著作の中で触れています。イレネオは小アジアで生まれ育っており、このときにポリカルポと出会い、その教えを受けました。また、アンティオキアの司教聖イグナチオは捕らえられ、ローマに連行される途中、スミルナでポリカルポに出会い、この地で4つの手紙を記しました(聖イグナチオについては、2005年10月に取り上げていますので、バックナンバーを参照してください)。

ポリカルポの殉教については、スミルナの教会が記した『ポリカルポの殉教』に描かれています。ポリカルポは迫害の中、町の外に避難して隠れ住みますが、最後は捕らえられて町の競技場に連れていかれます。そこで、火あぶりの刑に処せられ、賛美と感謝の祈りを口にしながら殺されていきます。その殉教は、おそらく155/156年あるいは166/167年に起きたと考えられています。

聖ポリカルポを荘厳に祝うミサでは、第一朗読として前述の黙示録2・8‐11が、福音朗読としてヨハネ福音書15・18‐21が読まれます。今回はヨハネ福音書の該当箇所を読むことにします。この箇所は、イエスが最後の晩さんの中で使徒たちに残された長い教えの一部です。

イエスは、使徒たちが「世」から憎まれ、迫害される理由を説明されます。使徒たちが迫害されることは、当然の事実であるかのように記されています。しかし、それは使徒たちがイエスと結ばれているからです。確かに使徒たちは憎まれますが、その前にイエスが憎まれたのであり(18節)、イエスが迫害されたから、使徒たちも迫害されるのです(20節)。人々が使徒たちを迫害するとすれば、それは「わたし(=イエス)の名のゆえに、これらのことをみな……する」のです(21節)。

ヨハネ福音書15章が「ぶどうの木」の教え(1‐10節)で始められていることは実に象徴的と言えます。イエスと弟子たちの結びつきについて教えているからです。イエスはぶどうの木、人々はその枝です。木につながっていない枝は、自分では実を結ぶことができません(4節)。だから、取り除かれ、外に投げ捨てられ、火に投げ入れられて焼かれてしまいます(2節、6節)。逆に、木につながっている枝は、実を結ぶことができるのです。しかし、このことがイエスとその弟子たちとの関係に当てはめられるに及んで、イエスの教えはぶどうの木とぶどうの枝の関係を大きく超えていきます。ぶどうの枝は、木につながっているからと言って、必ずしも実を結ぶとはかぎりません。しかし、イエスにつながっている人は、必ず実を結びます。いや、「豊かに実を結ぶ」のです(2節、5節、6節)。そこには実を結ばない可能性がないばかりか、実りの豊かさまで保証されているのです。では、この実りを保証するものは何でしょうか。それは、「父が……手入れをなさる」(2節)ということであり、「わたし(=イエス)もあなたがたにつながっている」(4節、5節)ということなのです。枝が木から養分を受けるように、人はイエスから養分を受けることができます。しかし、それだけではありません。イエスが人と結ばれ、その人の中に入って来て、はたらいてくださるからこそ、実りが保証されるのです。人々に対するこのイエスのはたらきかけは、「愛する」ということに凝縮されます(9節、12節)。このイエスの愛は「友のために自分の命を捨てる」ほどの「大きな愛」なのです(14節)。この愛は、弟子たちの「選び」となって実現していきます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと……わたしがあなたがたを任命したのである」(16節)。

このような点を踏まえて、18‐21節をもう一度読み直してみましょう。確かに、弟子たちには敵対や迫害があります。しかし、それは「わたし(=イエス)があなたがたを世から選び出し」(19節)、弟子たちがイエスとの深い関わりに入れられたからです。イエスの名による敵対や迫害は、むしろイエスとの深い関わり、実りをもたらさないではいない関わりの中にとどまっていることの証しなのです。だから、たとえ迫害にあっても、たとえ命を奪われたとしても、必ず豊かな実が結ばれているはずなのです。たとえ、肉体的には競技場で「火に投げ入れられて焼かれてしまう」としても、それはじつは迫害する側、すなわちイエスにつながっていない人の行く末なのです(6節、火あぶりの殉教の場面を思い浮かべるとき、この表現に著者の皮肉を読み取るのは行き過ぎでしょうか)。

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。神のみ心を識別するには慎重でなければならない、自分よがりであってはならないということです。私たちは、人々から憎まれるとき、敵対を受けるとき、苦しめられるとき、自分を正しい者、相手を間違っている者と色分けしてしまう傾きを持っています(ほとんどの場合、無意識に)。私たちの判断基準は、自分がどれだけの苦しみを受けているか(たとえそれが不当なものであっても)ということであってはならず、それがイエスとの関わりのために受けている苦しみかどうかということでなければなりません。敵対や苦しみ、迫害がイエスとの関わりを証しし、豊かな実を結ぶには、「わたし(=イエス)の名のゆえに」なされるものであることが条件なのです。だからこそ、敵対や苦しみがイエスとの関わりから来るのか、そのほかの理由(たとえば自分のいたらなさや思い上がり)から来るのか慎重に判断する必要があるのです。

この点で、イエスのこの長い教えの中に聖霊についての約束と教えが散りばめられているのは意味深いことです。聖霊こそ、「真理の霊」(14・17、 15・26、16・13)、「弁護者」(14・26、15・26、16・7)であり、「すべてのことを教え、わたし(=イエス)が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」方(14・26)、「わたし(=イエス)について証しをなさる」方(15・26)、「罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」方(16・8)、「あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」方(16・13)、「わたし(=イエス)のものを受けて、あなたがたに告げる」方(16・14)だからです。この霊に導かれ、イエスの教えと生き方の中心である命をささげるまでの愛に照らして、慎重に識別することが必要です。

イエスはすでに私たちを愛し、私たちのためにご自分の命をささげてくださいました。このイエスと結ばれ、その関わりを深めていくとき、私たちはそのために苦しまなければならないことがあります。しかし、その中にあっても、イエスとの関わりが必ず豊かな実を結ぶことを信じたいと思います。同時に、苦しみを受けるとき、安易に相手を裁くのではなく、まず人を愛されたイエスにならい、相手を愛しつつ、その一方で霊の導きにしたがって世の誤りを見極めるように努めたいと思います。スミルナの教会を導いた司教聖ポリカルポのように。

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