四旬節

四旬節とはどのような期間かと問われれば、まず第一に洗礼志願者の直前の準備期間であるということ、そして特別に回心を心がける期間であるということの2点を挙げることができるでしょう。

回心の期間であることについては、ふさわしい姿で復活祭を迎えるためであることはもちろんですが、これには歴史的な意味もあります。初期の頃の教会では、洗礼を受けた人がその後に大罪を犯してしまうことは、とても重大な問題として受け止められていました。洗礼によって原罪をゆるされ、キリストの命にあずかっていながら、この恵みを自ら否定してしまうのですから、それはある意味で当然の反応だったと言えましょう。このため、ゆるしを受けて、再び完全な形でキリストの教会に受け入れられるためには、長い悔い改めと犠牲の期間が必要とされました。通常、その期間は罪の告白から数えて3年間だったようです。このような人たちがゆるしを受ける日が聖木曜日だったため、彼らは3年目の四旬節をこの歩みの最後の期間として、特に熱心に悔い改めに励みました。教会もこれら苦しむ兄弟たちと心を合わせ、四旬節を回心と犠牲のうちに過ごしたのです。

また、洗礼の準備期間であることについては、伝統的に洗礼志願者が復活徹夜祭に洗礼の秘跡を受けるため(幼児洗礼の場合、必ずしもそうではありませんが)、教会は四旬節をその直前の準備期間にあてるのです。「洗礼志願者は」ではなく、「教会は」と記したことには意味があります。四旬節を通して洗礼の準備をするのは、志願者たちだけでなく、教会全体なのです。洗礼の恵みは、人間が罪人でありながら、神の憐れみにより、キリストの救いのわざにあずかる者とされ、神のいのちに招き入れられるという驚くべき神秘です。この大きな恵みを前にして、教会は心を一つにして準備をするのです。

ある教会で復活祭に洗礼を受ける人がいる場合、その教会では四旬節第一主日(今年は2月12日)に「洗礼志願式」を行ないます。そして、四旬節第三主日(2月26日)、第四主日(3月6日)、第五主日(3月13日)に「洗礼志願者のための典礼」を行ないます。第三主日から第五主日までの3つの主日には、復活祭に洗礼を受ける人がいない教会でも、洗礼志願者のための共同祈願を行ない、その結びとして「解放を求める祈り」を唱えます。これも教会全体が準備をしていることの具体的な表れと言えるでしょう。

さて、今年はA年にあたっています(主日はA年、B年、C年の3年周期となっています)。A年の朗読は、洗礼志願者のために最もふさわしい伝統的な箇所とされています(このため、洗礼志願者の典礼が行なわれる場合は、B年、C年であっても、A年の朗読箇所を用いることができます)。そこで、今回は第三主日から第五主日までの3つの主日の福音を洗礼志願者との関連で概観してみることにしましょう。

福音はすべてヨハネ福音書から取られています。第三主日は、イエスが井戸のそばでサマリアの女性と対話をする場面です(ヨハネ4・5─42)。ここでは、イエスが与える命の水がテーマとなっています。井戸から汲む水とは比べものにならないほどすばらしい、もはや渇くことのない水、生きた水、永遠の命に至る水をイエスは与えるというのです。これに付随して、霊と真理をもって父である神を礼拝する真の礼拝についても述べられます。このような礼拝はイエスとともに実現するのです(「今がその時である」)。

続いて第四主日には、生まれつき目の見えない人の目が開かれる場面が読まれます(ヨハネ9・1─41)。イエスは真の光であり、イエスによってこの人は目が見えるようになります。最後のやりとりが信仰についてであることを踏まえると、ここでは「信仰の目」も開かれたことが示唆されています。

第五主日には、ラザロの復活の場面が読まれます(ヨハネ11・1─45)。イエスは、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と宣言し、ラザロをよみがえらせます。

これらの朗読を通して、教会はあらためてイエスを信じることによって与えられる恵みの大きさを示し、洗礼志願者がさらに熱心にこれを願い求めるよう励ますのです。イエスは、私たちの渇きを永遠に満たしてやまない命の水であり、私たちをやみから光へと導き出してくださる方であり、私たちを復活させる永遠の命なのです。真理であるイエスに結ばれ、神の霊を受ける時、私たちは父である神に真の礼拝をささげることができるようになるのです(私たちが主日ごとに行なっているミサは、まさにこの真の礼拝の実践です)。

四旬節の期間、私たちすでに洗礼を受けた者も、洗礼志願者たちと心を合わせ、彼らのために祈りながら、私たち自身も洗礼を通して受けた恵み、今も受け続けている恵みをもう一度深く意識することができればと思います。

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