天の国を頂くという種 年間第4主日(マタイ5・1〜12a)

マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の『沈黙』を映画にしようと28年間温めて来た作品『沈黙 ―サイレンス―』を観ました。棄教したイエズス会宣教師フェレイラを救うために、若い宣教師ロドリゴとガルペが日本に派遣されます。彼らは、日本で迫害から隠れて信仰を守っているキリシタンに会います。しかし、二人はそこで、熱心なキリシタンが棄教を拒み捕らえられ、十字架につけられて殉教する姿を目にします。

この映画は、棄教をせず自分の命を最後まで捧げて殉教するキリシタン、何度でも「踏絵」を踏むことで殉教を免れて来たキチジロウ、キリシタンのために自分の命を亡くしたガルペ、そして、棄教することによってキリシタンを救おうとしたロドリゴの姿を通して私たちの【信仰】を見つめる一つの問いかけになるのではないかと思います。理不尽で不条理な【迫害】は、この時代に生きた宣教師を含めた「キリスト者」に及ぼされています。それは、「ころぶ(棄教)」ことを選んだ、ロドリゴも同じと言ってもいいでしょう。

きょうのみことばは、イエス様が人々に教えられた『山上の説教』と呼ばれる箇所です。ルカ福音書が平地で語られた(ルカ6・17〜26)に対してマタイ福音書では、イエス様が山に登られて人々に語られています。ユダヤ人たちにとって山は、日常の世界と別の所で“神聖な場所”と言われていました。また、マタイ福音書は、ユダヤ教からキリスト者になった人々に対して書かれていたようで、イエス様を自分たちの「ラビ(教師)」として捉えていたようです。一方ルカ福音書は、異邦人からキリスト者になった人々に対して書かれているようで、おん父から遣わされたキリストが天から降ってきたということで、「イエスは使徒たちとともに山を下り、平らな所にお立ちになった。」(ルカ6・17)とありますように、「平地」で人々に語られています。

イエス様は、山に登られ、「腰を下ろされ」、「口を開いて」人々に教えられます。この2つの動作は、ユダヤ人たちの「ラビ」が大切な教えを人々に伝える“特徴”だったのです。ですから、イエス様について来た多くの人々は、イエス様の動作を見て、これから大切なことを話されることが分かったのです。

イエス様の周りには、最初の4人の弟子たちを含め、イエス様から病気や悪霊に憑かれていたのを癒された多くの人々が集まっていました。そんな彼らに対してイエス様は、「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人たちのものである」と語り始められたのです。きっと、彼らは、イエス様が自分たちに対して言われているだと、実感したのではないでしょうか。パウロは、「あなた方が召された当時のことを考えてください。人間的な見方をすれば知恵ある者は多くなく、力ある者も、身分の高い者も、多くありません。……神は強い者を恥じ入らせるために、この世で弱いとみなされているものを選び出されたのです。」(1コリント26〜27)と伝えています。イエス様の愛に触れた人々は、このように人々から蔑みを受け、虐げられていた人たちだったのです。ですから、彼らは、イエス様の最初の言葉を聴いた時に「心の底まで」染み込んで行ったのではないでしょうか。

イエス様が言われた箇所で注目したいことは、【天の国】という言葉です。イエス様は、「自分の貧しさを知る人」(3節)と「柔和な人」(5節)そして「義のために迫害されている人」(10節)に対して「天の国はその人のもの」(3節)、「地を受け継ぐ」(5節)、そして「天の国はその人たちのもの」(10節)と教えられます。ちなみに、「柔和」ということばと「貧しい」という単語は、語源的に同じ言葉ですし、「地を受け継ぐ」の【地】とは、【天の国】を表していると言われています。このように考えますと、イエス様は、【天の国】に頂くためにもっとも大切な教えは、「貧しさを知り」、「柔和で」そして「義のために迫害されている人」と教えられているのではないでしょうか。

ただ、忘れてはならないこととして、「わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき、あなた方は幸いである」という言葉です。特に忘れがちなのは、「わたしのために」という言葉です。私たちは、「福音宣教」を行うとき、時々「イエス様のため」と言いながら、「自己満足」や「自己中心的」に傾く危険性があります。イエス様は、ここで「わたしのために」と言われたのは、私たちの弱い傾きをご存知だったのかもしれません。イエス様は、ご自分に従って行きたいと思っている人の心得としてこれらのみことばを教えられたのではないでしょうか。イエス様は、最後に「喜び踊れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである」と言われます。私たちは、この世でイエス様に召され、生きる中できょうのみことばを糧とすることができたらいいですね。

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