山上の説教 年間第4主日(マタイ5・1~12a)

山上の説教が行われた教会からガリラヤ湖を望むと、緑に囲まれ、なだらかな風景に雄大さを感じます。イエスもこの山(実際には岡のような感じ)に登り、美しいガリラヤ湖を見ながら大勢の群衆を前に「心の貧しい人々は幸いである」と、とても張りのある大きな声で語りかけたことでしょう。

今日の箇所の前半はとても有名で、心に響いてきますが、後半もまた味があります。すなわち「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」(マタ5・11)と。これらの中で「身に覚えのないこと」は、ギリシア語で「プセウドマイ」が使われ、これは「ウソを語る」「偽り」といった意味があります。

1934年12月に聖パウロ修道会のマルチェリーノ神父とベルテロ神父がイタリアから来日し、その後1937年1月にパガニーニ神父、1938年1月にはトラポリーニ修道士、同年9月にはボアノ神父、1939年11月にはキエザ神父が来日しました。王子教会で司牧に励むとともに、印刷所を構え、宣教に励んでいました。やがて1941年に太平洋戦争が勃発。日本はイタリアと日独伊軍事同盟を結んでいたので、イタリア人宣教師は好意的に扱われましたが、王子地区は軍需産業、軍施設が多く、外国人の姿は何かと疑惑の目をもって見られがちでした。事実、トラポリーニ修道士がスパイと間違えられて警察から取調べを受けることもありました。それは小学生の信じるに足りない告げ口によるもので、まさに「身に覚えのない」(プセウドマイ)ものでした。

イエスは、苦難に関連した事例のあとで語ります。「喜びなさい。大いに喜びなさい」(マタ5・12)と。ギリシア語で「喜びなさい」は「カイレイン」が使われ、標準的な喜びを意味します。一方、「大いに喜びなさい」は「アガッリアオー」が使われ、「歓喜する」「楽しむ」「小躍りする」の意味があり、人間の全存在で外に向かって喜びを発していく内容を意味します。これらの意味を考えてみると、私たちがどんなに辛いことに遭遇しても、それを喜びに変えていく秘訣が示されています。

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