宣教開始という種 年間第3主日(マタイ4・12〜22)

「一年の計は元旦にあり」ということわざがあります。これは、物事を始めるにあたっては、最初にしっかりと計画を立てなければならない、という意味のようです。たとえば、私たちが何か大きな企画を任された場合、それを実現するために、目標を設定しそれに見合うような予算や立案を定めたり、人員を確保したりして行きます。この計画と目標をしっかり持っていないと、せっかく良い企画でもうまくいくことはありません。私たちの信仰生活も同じなのかもしれませんね。

きょうのみことばは、イエス様が【福音宣教】を始める場面です。みことばは、「ヨハネが捕らえられたと聞いて、イエスはガリラヤに退かれた」という言葉から始まっています。ガリラヤは、首都エルサレムから遠く離れ、辺境の地であり、異邦人の地でもありました。一方、いくつかの大きな街道やが交差し、湖もあるため交通の便では良い所でもあり、ローマ兵も駐屯していたため治安も良かったようです。マタイ福音書では、イエス様がガリラヤで福音宣教をするにあたって、イザヤ書の「ゼブルンの地、ナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、闇に住む民は大いなる光を見た。死の陰に覆われた地に住む人々に光が昇った」という言葉を用いています。

イエス様は、エルサレムの人々が蔑んでいた場所をあえて最初の宣教の地として選ばれたのです。イエス様は、馬小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かされ貧しい羊飼いの訪問や、ユダヤ人たちから軽蔑されていた異邦人の博士の訪問を受けられていました。そして、宣教をするにあったては、辺境の地と言われている所から始められます。しかし、その場所は、イザヤ書にちゃんと預言されている通りの場所であり、さらに、「湖沿いの道、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、……」であったのです。

イエス様は、ご自分を証ししていた「洗礼者ヨハネ」がヘロデによって捕らえられたことを耳にし、ヨハネが人々に告げ知らせていた「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉を引き継がれてガリラヤで宣教を始められます。もしかしたら、洗礼者ヨハネのこの「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉は、おん父から頂いた言葉だったのかも知れません。それと同時に、預言者としての「宣教スタイル」だったのかもしれません。イエス様は、人々が聞き慣れていた言葉を用いて宣教されたのでした。

イエス様は、おん父から頂いた、「救い主、贖い主(メシア)」としての使命を果たすにあったて、ご自分と一緒に福音宣教をしてくれる弟子を集めます。今風に言うならば、これから始めようとする計画の「スタッフ選び」と言ってもいいかもしれません。イエス様は、イザヤの言葉のように「ガリラヤ湖」のほとりを歩かれます。イエス様は、ご自分の出身地のナザレで弟子たちを選ぶのではなく、これから宣教を始められる地元で働いている人、さらに、事業家でも人々に影響力がある裕福な人々ではなく、ガリラヤ湖で漁師をしている人々の所に行かれます。

イエス様は、漁に出ても魚が捕れない時もあり、やっと一日の生活を送れるような貧しい人々の所に足を運ばれます。ここでも、「闇に住む民は大いなる光を見た。死の陰に覆われた地に住む人々に光が昇った。」というイザヤの言葉が響いて来るようです。イエス様は、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖に網を打っているのをご覧になられます。そして、「わたしについて来なさい。あなた方を人を漁どる漁師にしよう」と言われます。イエス様は、ただ漠然とガリラヤ湖のほとりを歩いておられたのではなく漁師たちをしっかりと【ご覧に】なられておられたのです。もしかしたら、他にも漁師は、たくさんいたのかもしれません。しかし、その中でも、イエス様はあえてこの二人を最初の弟子として選ばれたのです。

イエス様は、彼らに「あなた方を人を漁どる漁師にしよう」と言われます。イエス様は、弟子をお選びになられるときに、まったくの畑違いの働きではなく、彼らが慣れ親しんだ生活をそのまま用いられたのでした。これは、私たちにも当てはまることかもしれません。イエス様は、私たちが無理をしなくてもいいように、性格や能力、資質など、ありのままの自分を生かしながら福音宣教ができるように、しっかりとご覧になられ、選ばれたのではないでしょうか。

み言葉に出て来る最初の弟子たちは、イエス様の呼びかけを聞き、自分の生活のすべてを置いて、「ただちに」「従い」ます。イエス様からの召し出しの声は、彼らの心の奥に強く響いたことでしょう。イエス様は、私たち一人ひとりにも同じように「わたしについて来なさい。あなた方を人を漁どる漁師にしよう」と言われているのではないでしょうか。私たちも弟子たちと最初の弟子たちと同じように、イエス様からの【召し出し】への呼びかけに「ただちに、従う」ことができたらいいですね。

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