最上級のクリスマスプレゼントという種 主の降誕(ヨハネ1・1〜18)

私たちは、【光】をどのように感じているのでしょうか。朝、太陽が昇るとその光を感じることができます。暗い部屋の中でも、蛍光灯のスイッチを入れると光によって部屋が明るくなります。私たちは、頂いている光の恵みをあまり意識することなく過ごしているような気がいたします。例えば、明るい部屋の中で、または、野外(周りに危険がないところ)で目を閉じて、心を落ち着かせ、ゆっくりとした呼吸でしばらくの間を過ごします。そして、ゆっくりと目を開けると、周りの明るさ、光を感じることができるのではないでしょうか。私たちは、これらの【光】や【明るさ】も三位一体の神から頂いた素晴らしいお恵みということを感じ、感謝することができたらいいですね。

きょうのみことばは、ヨハネ福音書の『序章』といわれる部分です。ヨハネは、三位一体の神様から啓示を受け、「初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。み言葉は神であった。」という一節から書き始めます。これは、旧約聖書の創世記を思い出させるのではないでしょうか。ヨハネは、イエス様のこの世への誕生は、おん父がこの世を創造されているときからお決めになっているということを、私たちに伝えようとしていたのかもしれません。ヨハネはみ言葉によってこの世のすべてをお創りになられ、私たち人間は、創るだけではなく、み言葉であるイエス様が命として私たちの中に入ってくださっていると伝えています。ヨハネは、私たち一人ひとりが三位一体の神からどれほど愛されているのか、私たちの心が弱さのために闇(罪)の状態であっても、光であるイエス様によって救ってくださる、ということまで伝えているのです。

私たちは、このイエス様の光に何度救われたことでしょう。光であるイエス様は、私たちの弱さ、罪深さをご存知です。それでも、イエス様は、私たちの中で光り続け罪に苦しむ私たちの心を元の明るい心に戻してくださっているのではないでしょうか。ヨハネは、「すべての人を照らすまことの光はこの世に来た」と伝えます。ここに、私たちが【主のご降誕】を祝い、賛美する大切さがあるのではないでしょうか。

ヨハネは、再び「み言葉はこの世にあった」と伝えます。このように、ヨハネは、み言葉であり、光であるイエス様が私たちの中におられること、わたしたちの心の闇から救われ、さらに私たちの心を照らしてくださっていることを、「これでもか」と思われるほど何度も繰り返し、またここでも、「み言葉はこの世にあった」と伝えます。ヨハネは、私たちが三位一体の【いつくしみの愛】によって愛され、生かされているのかということを伝えているのではないでしょうか。

しかし、ヨハネは、「この世はみ言葉を認めなかった。み言葉は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。」ということもあると伝えます。これに対して、「み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。」とヨハネは伝えます。ここで注意しなければならないことは、「私はどちらの立場なのだろうか」と考えてしまうことなのです。ヨハネは、【み言葉】を「認めない民、受け入れない民」を「悪い民」とは伝えていません。もし、そうだとすれば、「悪い民」を裁くことになりますし、イエス様がみ言葉として「この世」に来られることの意味がなくなってしまいます。もう一つ、忘れてはならないのは、「この世」である私たちの中に、【み言葉】を「受け入れない部分」と、「受け入れて、信じる部分」の【2つの部分】があるということです。パウロは、「わたしは自分の望む善いことをせず、望まない悪いことをしているのです。」(ローマ7・19)と伝えています。私たちの中には、この【2つの部分】を持っていることを、認めるということも私たちの歩みの中で大切なことなのかもしれません。

ヨハネは、三位一体の神の愛として、「み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。」と伝えます。この一節を黙想するとき、ヨハネは、私たちが【み言葉】であるイエス様の名(イエス様の全人格)を受け入れ、信じた時、私たちが【神の子となる資格】を頂けることを約束してくださっているのです。パウロも「神は、……御子の姿に似たものになるようにと、あらかじめお定めになられたのでした。」(ローマ8・29)と同じようなことを伝えています。私たちは、このような素晴らしい恵みを頂いているのです。

私たち一人ひとりは、光であり、み言葉であるイエス様のご降誕によって、「この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵み受けた者」として、イエス様という【最上級】のクリスマスプレゼントを頂いているのではないでしょうか。私たちは、私たちの中におられる【光】であるイエス様と一緒に、主のご降誕の恵みを味わうことができたらいいですね。

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