聖ヨハネ・ボスコ司祭

聖ヨハネ・ボスコ司祭の記念日は1月31日です。ヨハネ・ボスコは、1815年8月に北イタリアのカステルヌオヴォ・ダスティという町で生まれます。そのわずか2年後に父親が病気で亡くなったこともあって、ボスコ家は厳しい生活を送らざるを得ませんでした。ヨハネ・ボスコは、当時の慣習にしたがって、子供のときに別の農家のもとで働きます。それから、勉学の道に足を踏み入れます。1835年、ヨハネは20歳のときに、キエリにあったトリノ教区の神学校に入学し、哲学と神学を学びます。そして、1841年にトリノで司祭に叙階されます。その後、1844年まで勉学を続け、そのかたわら、司牧の体験も積んでいきました。

1844年、ヨハネ・ボスコは聖フィロメナ救護所、および同名の療養所のチャプレンに任じられます。彼は、ここに若者たちを集め、オラトリオを創設して、これを「聖フランシスコ・サレジオのオラトリオ」と名づけて、彼らを教え導きます。ヨハネは特に、行き場を失った若者たちや、貧しい地域の若者たちに目を向けていきました。しかし、救護所・療養所に不特定の若者たちが集まって集会をすることは、周囲の人たちからときにうるさがられたり、うさんくさい目で見られたりします。ついにヨハネは、チャプレンとしての務めに専念するか、この務めを放棄して若者たちと救護所・療養所を出ていくかの二者択一を迫られました。ヨハネは若者たちへの奉仕を続けることを選び、集まることのできる場を探しながら転々としました。そしてついに、トリノの町の北西部のヴァルドッコにオラトリオを開くための建物を借りることができました。ヨハネは、多くの人々の協力を得ながら、ここで主日ごとに集会をおこない、平日には若者たち一人ひとりのもとを訪ねながら、必要な援助をしていました。こうしたヨハネ・ボスコの試みは、若者の増加もあって軌道に乗り、1847年にはポルタ・ヌオーヴァの地区に第二のオラトリオが創設されました。

このようにヨハネ・ボスコの起こしたオラトリオが成長していく中で、ヨハネは自分ととともに責任を担っていく人々の団体設立を考えるようになります。これがサレジオ修道会として発展していきます。この会は、伝統的な修道生活の枠を超えて、社会の中で組織を作り、若者たちに愛の奉仕をするものとして設立されました。実際に、この時代はイタリアで国土再統一の機運が高まり、それまで教会でなされていた教育が、国の法律にのっとって学校でおこなわれるようになっていった時代です。それとともに、サレジオ会の活動も、単に主日のオラトリオの活動だけでなく、学校や寮などの運営へと広がっていきました。

こうした状況の中で、ヨハネ・ボスコは、同じ目的を持つ女子修道会を設立します。助け手である聖母マリアの子どもとしてこの務めをおこなうサレジアン・シスターズです。

ヨハネ・ボスコが起こした動きは、トリノだけでなく、イタリア全土、ヨーロッパ、そしてラテン・アメリカへ急速に広がっていきました。そして、ヨハネ自身は晩年も精力的に活動して回った後に、1888年1月31日、ヴァルドッコのオラトリオ内の自室でその生涯を閉じました。

今回は、マタイ福音書18・1-5を取り上げましょう。この個所は、「だれが天の国でいちばん偉いのか」という弟子たちの問いかけから始まっています。すると、イエスは一人の子供を呼び寄せ、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」と答え、続けて「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言われます。子供のようになることは、単に天の国における偉大さを示すものだけではなく、天の国に入るための必要条件とされているのです(「子供のようにならなければ、……天の国に入ることはできない」)。いったい、「子供のようになる」とはどういうことを意味するのでしょうか。

ここでは、「心を入れ替える」という表現と、「自分を低くする」という表現が用いられています。一般的に「子供」というと、わたしたちは純粋無垢でかわいらしい存在を意味すると考えてしまいがちです。しかし、聖書の中では必ずしもこれが第一の意味なのではありません。むしろ、知恵においても、からだにおいても、まだ成熟してはいない人、周囲の状況に配慮できず、自分の思いを貫いてしまう人、それゆえ社会において十分な権利を与えられていない人という意味が強いのです。「自分を低くする」という表現は、まさにこの意味に沿っていると言えるでしょう。そうだとすれば、「心を入れ替える」とは、自分が偉い者、立派な者であると考えてしまうおごりを捨てて、未熟な者、低い者にすぎないという事実を受け入れるということになるでしょうか。おそらく、だれが天の国でいちばん偉いのかと問うたときの弟子たちは、「もしかしたら自分がいちばん偉いのではないだろうか」という考えすら抱いていたのでしょう。たとえいちばん偉い者ではないにしても、自分は上位に位置するはずだ……。弟子たちの問いかけには、そのような思いが透けて見えます。これに対してイエスは、このような心の持ちようでは、偉いどころか、天の国にさえ入れないではないかと指摘されるのです。わたしたちは、天の国を前にしたとき、つまり全能の神を前にしたとき、かぎりなく未熟な存在であることに気づかされます。神に比べれば、わたしたちは子供に過ぎないのです。自分の姿に気づいて、これを受け入れるとき、はじめてわたしたちは天の国にも受け入れていただけるのです。

ところが、イエスの言葉はここでは終わりません。さらに、「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と続けられています。これまでは、自分が子供のようになることが求められていましたが、今度は子供を受け入れることが求められています。ここでも(特に、6節以降と照らし合わせるとなおのこと)、子供は未熟で、知恵のない人、自分勝手な人、その意味でやっかいな人、罪人、小さな人を意味しているようです。子供に言うことを聞かせるのは大変なことです。子供は、ときに想像もつかないことをします。自分のしたことに責任をとることができません。だから、わたしたちは往々にして子供を抑えつけようとします。自分たちから隔離しようとします。そのほうが、邪魔をされずに、静かに物事を進めることができるように思えるからです。しかし、わたしたちのこのような傾きに対して、イエスは警鐘を鳴らされます。このような人をわたしたちが受け入れずに隔離してしまうとき、彼らは天の国でも追い払われてしまう、逆にわたしたちが彼らを受け入れるとき、彼らも天の国で受け入れられるのである、と(18・18参照)。わたしたちは、彼らの救いに責任を負っているのです。彼らを受け入れるかどうかが、イエスを受け入れるかどうかをも示しているのです(25・40「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」、25・45「この最も小さい一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」)。

神の前で自分が子供にすぎないことに気づき、だからこそ、たとえ難しくても子供のような人を受け入れていくこと。人々の救いにおいてこの点がどれだけ重要なことであるか、聖ヨハネ・ボスコも気づいたのでしょう。だから、子供たち、若者たちを放っておくことができず、たとえ周囲の人々から嫌がられても、この使命を貫き通したのでしょう。わたしたちも、聖人の取り次ぎによって、自分自身の周囲にいる「子供たち」を喜びをもって受け入れ、それをとおしてイエス・キリストを受け入れることができるようにしたいものです。

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