聖アントニオ・マリア・ザカリア司祭

7月5日は、聖パウロ律修聖職者会(バルナバ修道会)を創立した聖アントニオ・マリア・ザカリアを記念します(任意の記念日)。アントニオ・マリアは、1502年、北イタリアのクレモナという町に生まれました。彼が生まれて数カ月後に、父親のラザロは亡くなりました。このとき、母親のアントニエッタはまだ18歳の若さでした。アントニオ・マリアは、故郷のクレモナで成長した後、パドヴァの大学に行き、医学を学びます。しかし、医者にはならず、霊的生活に専心し、1528年に司祭に叙階されます。

彼の司祭としての生活は、クレモナから始まります。アントニオ・マリアは、信仰生活刷新のための集いを始め、そこに多くの市民が集まるようになります。しかし、1530年には、グアスタッラのルドヴィカ・トレッリ伯爵夫人の求めに応じて、ミラノに赴きます。このミラノで、ジャコモ・アントニオ・モリージャ、バルトロメオ・フェッラーリの2人と出会います。そして、アントニオ・マリアは、彼らとともに聖パウロ律修聖職者会を創立するのです。

彼らは、パウロの熱意をもって、厳しい悔い改めのわざを行い、聖体祭儀を大切にし、十字架のキリストについて説き、みずからの生活を見つめなおすための集まりを持ちました。彼らの熱意は、多くの称賛とともに、反感も呼び、裁判ざたになることもありました。一方で、このような刷新運動のうわさは、ヴェネツィアにまで達し、彼らはヴェネツィアの司教に招かれてそこでも精力的に刷新運動を進めました。

しかし、アントニオ・マリアは、健康には恵まれていませんでした。自分の死期をさとった彼は、故郷のクレモナに戻り、1539年7月5日、多くの弟子たちに囲まれ、40歳にも満たない若さで天の御父のもとへと帰っていきました。

その後、彼の後継者たちの多くは、ミラノの聖バルナバ教会に拠点を置きました。このため、聖パウロ律修聖職者会は、通称「バルナバ修道会」と呼ばれるようになりました。

聖アントニオ・マリア・ザカリアが目指したのは、キリスト者の熱意を常に新たにすることでした。そのために、「気が変になった者のように走り回ること」を、自分にも、仲間たちにも求めました。そこには、「すべての人に対してすべてのものとなって」(一コリント9・22)、走り抜くパウロの姿が模範となっています。

アントニオ・マリアの言葉は、いくつかのパウロの言葉を思い起こさせてくれます。「わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです」(二コリント5・13-14)。「〔彼らは〕キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです」(同11・23)。アントニオ・マリアは、まさに気がおかしくなった者のように、全力でキリストに仕え、人々の救いのために走り尽くしたのです。

聖アントニオ・マリア・ザカリアを荘厳に祝うときのミサの第二朗読は、二テモテ1・13-14、2・1-3が朗読されます。そこでは、キリスト・イエスによって固く立ち、信仰と愛を強く生き抜くように勧められています。「強くなりなさい」とか、「立派な兵士として」とか、非常に勇壮なことが語られています。しかし、それは自分自身の力で強くとどまることを意味するのではありません。「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです」(二テモテ1・9)。そして、キリストが「死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました」(同10節)。だから、わたしたちは自分の力ではなく、「キリスト・イエスによって」(同13節)ふさわしく生きるのであり、「わたしたちの内に住まわれる聖霊によって」(同14節)教えを守るのです。また、「キリスト・イエスにおける恵みよって」(同2・1)強くなるのであり、「キリスト・イエスの」(同3節)立派な兵士として、苦しみを忍ぶのです。

テモテへの手紙に見られるメッセージも、聖アントニオ・マリア・ザカリアの生涯や教えに見られるメッセージにも共通しているのは、キリストが中心であるということです。すべての力と熱意はキリストから与えられるものであり、だからどんな苦難をも耐え忍ぶことができるのです。わたしたちは、人間の熱意と勇気がいかにもろいものであるかを知っています。ペトロは、教会の礎としての使命を与えられながら(マタイ16・18-19)、最後までイエスについて行くことができませんでした。「たとえご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(同26・35)とまで言っていたのに、いざ自分が疑われると、怖くなって「呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓」(同74節)ってしまうのです。体験をとおしても、わたしたちはそのことを知っています。

一方で、キリストの恵みと力に信頼し、これに身をゆだねる人は、どんな苦難をも耐え忍ぶことができます。自分では耐え忍ぶことができないことを認めているからです。しかし、キリストが力を与えてくださる、いやキリストが自分の中で耐え忍んでくださることを知っているからです。

聖パウロの中に、そして聖アントニオ・マリア・ザカリアの中にはたらかれたキリストは、今もわたしたちの中にはたらいておられます。このはたらきに信頼することができれば、わたしたちもきっと彼らの熱意を自分のものとすることができるでしょう。

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