つまずかないという種 待降節第3主日(マタイ11・2〜11)

私たちは、ときどき周りの何気ない言葉や、面と向かって言われた言葉に傷つくことがあります。また、自分の意見は、「これです」という人でも、周りの意見や行動に左右され、自分の意見を正直に言えない人や、時には信念さえも揺らぐことがあるのではないでしょうか。それでも、中には、どんな状況の中でも「我が道を行く」という強い意志を持っている方もいるかもしれません。私たちは、自分の意見や意志をしっかり保ちながら、周りの人と協調して行くということは、時には困難を強いられることもある場合もあることでしょう。

きょうのみことばは、洗礼者ヨハネがイエス様のところに自分の弟子を遣わして、「あなたはメシアですか」と尋ねさせるというところから始まっています。洗礼者ヨハネは、ヘロデが自分の弟の妻を自分の妻としたことを指摘したことで投獄されていました(マタイ14・3、マルコ6・19〜29)。当時の牢獄は、地中に穴を掘り、外の明かりもなく、閉塞感があり、劣悪な環境でした。彼は、ヘロデの間違いを指摘したとうことで投獄され気持的にも弱くなっていたのかもしれません。それと、同時に自分の「死」さえも意識していたのではないでしょうか。彼は、早くイエス様が「メシア」としてイスラエルを救ってくださり、ローマの支配や、様々な圧政から解放してくださるようにと、焦っていたのかもしれません。そんな中、イエス様の活動を耳にしたヨハネは、イエス様が本当にメシアなのかと疑問が出て来たのでしょう。

彼は、イエス様のところに自分の弟子たちを遣わして「来るべき方はあなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と尋ねさせます。ヨハネは、かつて「わたしはその方の履き物をお脱がせする(奴隷の仕事)資格もない」(マタイ3・11)と言ったように、自分とイエス様の関係をしっかり認めていました。そんな彼がイエス様に疑問を投げかけ、意見を求めようとするために、自分の弟子たちをイエス様のところに遣わしたのです。きっと、ヨハネは、弟子たちを遣わすにあったって悩みに悩んだことでしょう。

イエス様は、彼らの質問に対してイザヤの言葉の「見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開かれる。……」(イザヤ35・5〜6)を引用され、さらに重い皮膚病の人が清められること、死者が生き返れること、貧しい人に福音を告げられることが加えられます。イエス様がなさっていることは、ヨハネが思っているような政治的な苦しみからの解放でも、ローマからの解放でもなかったのでした。

イエス様は、ヨハネの弟子たちに対して「あなた方が見たり聞いたりしたことを、ヨハネに告げなさい。」と言われます。このことは、人のうわさや、思惑にとらわれることなく、ありのままの素直な気持になって受け入れるということを、イエス様は彼らに伝えているのではないでしょうか。ヨハネの弟子たちもイエス様のなさっていることに心が引かれ、ヨハネから聞いた「メシア像」とは違うということに気がついて行ったのではないでしょうか。イエス様の姿は、政治的な活動をするのではなく、さまざまな病気に苦しむ人々の苦しむ人々を癒し、人々の心を平安にされ、喜びを与え、福音を伝えられます。イエス様の活動は、人々に対しておん父の“いつくしみの愛”を伝えるものでした。

イエス様は、「わたしにつまずかない者は幸いである。」と言われます。この“つまずき”とは、どのようなものなのでしょう。それは、人間的な考えの中で「メシア」ということを思うことではないでしょうか。ヤコブは、「兄弟たちよ、主の来臨まで耐え忍びなさい。……耐え忍んで心を強く保ちなさい。主の来臨は近づいています。」(ヤコブ5・7)と手紙の中で伝えています。このことは、今の私たちにも響いて来る言葉ではないでしょうか。私たちは、「本当にイエス様はおられるのでしょうか。社会の中は、争いがあり、事件や自然災害で人が苦しみ、貧困やイジメがおこっている。イエス様は、どこにおられるのでしょう。」というような疑問が起こって来ることはないでしょうか。そんなときでも、「耐え忍んで心を強くして」イエス様がおられるということを信じることの大切さを、ヤコブは、手紙を通して私たちに伝えようとしているのかもしれません。イエス様の「わたしにつまずかない者は幸せである。」という言葉は、たとえ周りがどうであれ、イエス様のことを信じ、お委ねして付いて行く人は、イエス様とともに“幸せ”をいただけるということではないでしょうか。

私たちは、信仰生活をおくる中で様々な矛盾を感じ、学校や職場、地域の人間関係、時には、小教区の中でも疑問を感じ苦しみ傷つくこともあることでしょう。私たちは、そんなときどこによりどころを見つけることができるでしょうか。そんな時でさえも、私たちの中にともにおられる、イエス様にお委ねして歩んで行くことができたらいいですね。

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