2. ベルテロ神父の日本宣教出発前の日々

ベルテロ神父の日本宣教出発前の日々

ベルテロ神父は1906年(明治30年)アルバ近くのヴァッレ・サン・ロレンツォ村に生まれた。1924年、18歳の時にアルバの教区神学校から聖パウロ会に入会し、それから哲学、神学を学び、8年後の1932年に26歳でアルバの聖パウロ会大聖堂において司祭に叙階された。その後の使徒職としては活版印刷に携わった。当時の鉛活字の文選とライノ・タイプによる編集作業を体験した後、日本へ出発するまで協力者の担当を任され、寄付集め、ミサの意向集め、パウロ会員のための奨学金集めに奔走し、恩人たちと文通していた。

ところが1934年(昭和9年)のある日のこと、28歳のベルテロ神父が中古バイクに乗って、協力者たちを訪問するためにアルバからトリノへ向かう途中、急坂にさしかかった途端、バイクもろともひっくり返り、右足が重いバイクの下敷きになった。近くの村人に助け起こされ、応急処置を受け、やっとの思いで、バイクを運転しながらアルバの母院へたどりついた。母院の病室で手当を受けてから、杖を頼りに修道院の5階にある自分の個室で一週間程療養していた。それから、ベルテロ神父本人の言葉を借りれば、「爆弾がさく裂したほどのショック」を受けることになる。

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1932年(昭和7年)12月に司祭叙階された日のベルテロ神父

爆弾さく裂

以下の記述はベルテロ神父の回顧録からの引用である。「毎日、エンリチ神父が看護してくれた。マッサージ、注射、足はひざから下へしっかり包帯で固められていた。その間、私はベッドに横になって、祈り、読書し、また協力者のための新しい使徒職計画を立てていた。

毎日、友人たちが昼食後のレクリエーションに時を過ごしている頃に、私はベッドから降り、片足で窓辺に行き、中庭を見下ろしていた。ある日、いつものようにレクリエーションを見てから、歌を口ずさみながら室内を往き来していると、突然、創立者の足音が聞こえた。それは私の部屋のドアに近づいて来た。私は大急ぎでベッドにもぐり込んだ。

静かにノックの音を聞いた。

『入ってもいい?』
『どうぞ』と私は答えた。
『足の具合はどう? ベルテロ神父さん。』
『はい、いい具合です。2、3日したら完全に治るでしょう。』
『そう、そう。回復するまでは仕事ができないから、日本へのパスポートを準備しませんか? キリストに賛美。』そして部屋を出ていった。

私は、あっけにとられていた。爆弾がさく裂した。この10年間でこう自問したのは初めてだった。神学の先生(編者注:創立者を示す聖パウロ会固有の呼び名)は、きっと間違えたのだ。私に幾度か宣教地に行くことについて尋ねたことはあるが、でもそんな遠くに…。恐れ入った! これは考えないでおいたほうが良い。翌日、同じ頃、神学の先生はまた私の部屋まで上がって来て、すぐに任務について話し始めた。

『パスポートを準備しなさい。マルチェッリーノ神父さんと一緒に出発しなさい。彼はローマであなたを待っています。』そして部屋を出ていった。

私は神学の先生が本気で言われたのだと思い始めたが、まだ完全に確信したわけではなかった。その日一日中、誰にも何も話そうとせず、不安で神経は高ぶっていた。

イエス、マリア…、私はひとりごとを言った。本当でしょうか? 神学の先生はただ私を試して反応を見ようとしたのでしょうか? 明日になったら『フランスかスペインに派遣する』と言うのでは…。真実を知るのにこれほど心配し、不安な時を過ごしたことはなかった。

しかし、…私は考え続けた。このようなことについて神学の先生が冗談を言ったことはない。彼がもうここに来なかったら、この不安な状態からどうして抜け出よう?」

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ライノタイプで働くベルテロ神父(右列最手前)

爆弾は祝砲だった

「1934年10月後半のことであった。神学の先生が3度目に5階に上って来たとき、たくさんの書類を手にして私の部屋に入って来た。

『さあここに…、』彼はほほえみながら言った。『あなたの出生証明、国籍証明などがあります。これを全部、ローマのマルチェッリーノ神父に送りましょう。彼はあなたのパスポートを準備してくれます。あなたは祈ってよく準備しなさい。あなたは間もなくローマに行き、そこでマルチェッリーノ神父がすべてを説明してくれるでしょう。トリエステのロイドの客船がシャンハイ(編者注:中国・東シナ海の主要な港町である上海)に行きます。東京に行くあなたたちと一緒に、中国に行くエマヌエレ・ファシーノ神父とピオ・ベルティーノ神父が出発します。』

創立者は、私の安心した幸せそうな顔を見て満足して部屋を出て行った。爆弾は祝砲だった。それだけでなく、私のうちに名状し難い喜びを引き起こした。幸福感に包まれ、私は内廊下に出て階段を上り下りした。私は神学生たちや友人の若い司祭たちの教室に行って、『おーい、おーい。神学の先生が私を日本に派遣する…。世界の首都へ!』

私はすっかりのぼせあがっていて皆を笑わせてしまった。皆は私の言うことを信じようとせず、いつもの冗談だと思っていた。

実際、私は教室を出ながら考えた。皆は私がおかしくなったと思っている。しかし神学の先生は、はっきりと言われた。『時期を待とう』と。部屋に戻ってロザリオを手に取り、聖母に感謝しながら祈り始めた。唱える言葉に注意していたが、頭の中ではほかの考えが駆けめぐっていた。

さらに3日経って看護係の許可があり、部屋から出て準備を始めた。それから、旅行のための寄付を少しずつ集めた。確かに切符は創立者が購入してくれたが、長い旅行にはいくらかの金が必要であった。寛大に、快く援助してくれると思われるかなりの友人、恩人たちに特別の事情ということで依頼した。

数日のうちに、3万リラ(編者注:当時の日本円に換算すれば5千円、現在ではその百倍の50万円程度)という大金が集まった。私はその金をポケットに納め、この金で順調に行く、問題はないだろうと思った。しかしローマで神学の先生に最後の挨拶をしたとき、事は起きた。それは後ほど述べることにしよう。」

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パウロ会創立3年目(大正6年)、15歳のマルチェリーノ(創立者の左端)

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