ちょうど「そのころ」という種 待降節第2主日(マタイ3・1〜12)

12月は、師走と言うくらいなので、何かと忙しくなるものです。また、街では、クリスマスのイルミネーションやクリスマス・リースが飾られています。洗礼の恵みを頂いている人よりも、そうでない人の方が「クリスマス」を楽しみにしているような気がいたします。では、私たちにとって、「【クリスマス】を待つ」とはいったいどのようなものなのでしょう。今私たちは、待降節の中で「愛と平和を与えてくださる救い主イエス・キリストの誕生」を待っていると言えるのではないでしょうか。

きょうのみことばは、「洗礼者ヨハネ」が現れ「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人々に言う場面です。みことばは、「そのころ」という言葉から始まっています。ルカ福音書では、「皇帝ティベリウスの第15年、ポンティオ・ピラトが総督、……であったとき」(ルカ3・1)と歴史的な背景が書かれています。マタイ福音書は、ただ「そのころ」としか書かれていません。しかし、この言葉の中には、果物が熟して食べごろになるようは「ちょうど【そのころ】」というような意味があるのかもしれません。洗礼者ヨハネは、イエス様の宣教準備が整った「ちょうど【そのころ】」荒れ野に現れ、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝える使命をおん父から与えられたのではないでしょうか。

洗礼者ヨハネは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人々に伝えます。「悔い改める」という中には、自分の心を鎮め、自分の心を振り返るということが大切になってきます。そのためには、まず、自分自身が【謙遜】にならなければならないのではないでしょうか。イエス様は、山上の説教の中で「自分の貧しさを知る人は、幸いである。天の国はその人もののである。」(マタイ5・3)と言われます。私たちは、心の底から「自分の貧しさを知り、謙遜になったとき」、その状態が【天の国】と言ってもいいのではないでしょうか。

人々は、ヨハネの言葉を聞き、エルサレムやユダヤ全土、ヨルダン川周辺からヨハネのところに来て、「罪を告白」して「洗礼」を受けていました。私たちが洗礼の恵みをいただく時に、司祭は私たちの額に水を注いで洗礼をさずけてくださいますが、洗礼者ヨハネの洗礼は、ヨルダン川に浸したようです。つまり、受洗者は身をかがめ水の中に自分の身を沈める状態にしなければならないのです。ここにも、【謙遜】の心が表れているのではなでしょうか。

そのとき、ファリサイ派とサドカイ派の人々が、大勢洗礼を受けに来ます。彼らは、エルサレムの指導者でしたし特権階級の意識を持っていました。イエス様は、彼らについて「彼らは重荷を束ねて人の方に負わせるが、自分たちはそれを動かすために指一本触れようとしない。……たとえば、経札の幅を広くしたり、衣の房を大きくしたりする。」(マタイ23・4〜5)と言われています。洗礼者ヨハネは、彼らの見せかけの姿、また、立派な服装に身を包んだ姿で大勢洗礼を受けに来たことに対して、激しい言葉で「蝮の子らよ、来たるべき怒りから逃れるように、誰が教えたのか。」と叫びます。エルサレム全土から「洗礼」を受けるために来た人々は、自分の貧しさを知っていましたから心の底から【悔い改め】、罪を告白していました。しかし、ファリサイ派やサドカイ派の人たちは、「自分たちは、ここに集まって来た他の人たちのような罪人ではない。ただ、主の来臨の怒りから逃れられるために来た」という気持があったのではないでしょうか。そのため、ヨハネは、彼らに対して厳しく非難をしたのかもしれません。

もしかしたら私たちは、彼らと同じような危険に陥ることがあるのかもしれません。私たちは、知らない間に「私はあの人たちとは違う、私の方が正しい」と言うような気持で周りの人を裁いたり、時には、自分の理想の姿を思い、その思いと違う自分を責めたり、落ち込んだりするようなことはないでしょうか。そのような時、私たちの心は、ちょっと荒んだ状態で、【自我】の心、イエス様がお嫌いになる【傲慢】な状態なのかもしれません。パウロは「キリストも自分の満足を求められませんでした。……したがって、神の栄光のために、キリストがあなた方を受け入れてくださったように、互いに受け入れなさい。」(ローマ15・3、7)と伝えています。私たちは、イエス様が私たちにしてくださったように、周りの人に対して、また、自分自身に対して受け入れ謙遜になるとき、私たちの心は平和な気持、愛で満たされた「神の国」の状態になるのではないでしょうか。

いま私たちは、「待降節」を過ごしながらイエス・キリストの誕生を待っています。私たちにとって今のこの時が「ちょうど【そのころ】」と言ってもいいのかもしれません。私たちは、「愛と平安そして謙遜」の心でイエス様のご誕生をお迎えすることができたらいいですね。

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