待降節

今年も一年が終わろうとしています。しかし、「典礼暦」の上では、すでに新しい一年が始まっています。典礼暦の最初にある期間、それが待降節です。そこで、今回はこの「待降節」という期間について、特に使徒パウロのフィリピの教会への手紙を中心に、考えてみましょう。

待降節は、もしかすると典礼暦の中でいちばん誤解されているものの一つかもしれません。待降節を、四旬節と混同して、悔い改めと犠牲の期間と考えている人が案外多いのです。これは、待降節と四旬節の共通点から来るようです。確かに、それぞれ降誕祭と復活祭という大きな祝日の「準備」の期間であり、どちらも紫の祭服が使われ、「栄光の賛歌」が省かれます。また、多くの教会でどちらの時期にも「共同回心式」が行なわれます。しかし、よく注意すると、大きな違いがあるのも分かります。たとえば、待降節には賛美と喜びの叫びである「アレルヤ」が使われますが、四旬節には使われません。また、犠牲を勧める「大斎、小斎」は待降節には行なわれません。

待降節の中心メッセージは、決して「犠牲」ではありません。待降節はむしろ「喜び」の期間、主の到来を喜びに満たされて待つ期間なのです。このことを端的に表している聖書の箇所の一つに、今回取り上げたフィリピ4章4—7節があります。この箇所は、待降節中に好んで朗読される箇所で、今年は第3主日(12月14日)の第2朗読で読まれます。ここでパウロは、繰り返しフィリピの信徒を喜びへと招いています(「重ねて言います。喜びなさい」4節)。パウロにとって、この喜びの根拠は「主がすぐ近くにおられる」(5節)ということです。誰もが経験するように、何かすばらしいことを待っている時の期待に心を踊らせるような喜びは、それが実際に与えられた時の充実感とはまた違った喜びです。パウロはそのような喜びへとフィリピの信徒を招いているのでしょうか。

しかし、この手紙を書いている時のパウロは、私たちが通常「喜び」という言葉で表現できるようなものとはかけ離れた状況にありました。この時、パウロは牢獄に入れられ、苦しみのただ中にあったのです。では、パウロは自分では味わえない喜びをせめてフィリピの信徒が味わってほしいと願ったのでしょうか。不思議なことですが、このような状況にあっても、パウロは自分が喜んでいると語ります(1・17—18)。そして、自分の喜びを共有するようにフィリピの信徒に勧めるのです(2・17—18)。

一体、この「喜び」とはどのようなものなのでしょうか。パウロは、この喜びを「主における喜び」と言います。パウロは、キリストが自分を捕らえてくださったこと、救いがまさにこのキリストの内にあることを理解します。そして、「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切をノノ塵あくたと見な」(3・8)すほどになるのです。主の内にあることのあまりのすばらしさに喜ばないではいられない。他のどんなことも、囚われの身という苦しみすらも、この主における喜びの前では些細なことにすぎない。この主がすぐ近くにおられる。だから、パウロは自ら喜び、また人々を喜びへと誘わないではいられないのです。

待降節は、主が私たちのもとに来られた出来事(主の降誕)を記念するための準備期間というだけではなく、主が再び来られ私たちの救いを完成される時を待ち望む期間でもあります。私たちもパウロと同じように主から捕らえられた喜びを何らかの形で既に味わっています。だから、救いの完成を待つ今も、私たちはこの喜びに満たされて歩まないではいられないはずなのです。しかし、私たちは日々の生活の重さ、苦しさに耐えかねて、こうした苦しみの方が主における喜びよりも大きなものであるかのように感じ、打ちひしがれてしまうことがあります。だからこそ、待降節が大切なのではないかと思うのです。私たちがもう一度主の内にいることのすばらしさを味わい直すために。そして、このすばらしさを完全に味わい尽くすことのできる日を待ち望んで止まないために。これを待望しながら歩む喜びに比べれば、どんなに大きな苦しみでも塵あくたにすぎないことを実感できるために……。

待降節は、12月24日までで終わります。しかし、私たちの歩みは、これからも希望と喜びのうちに救いの完成を目指して続いていきます。待降節は、いわばこのキリスト者としての歩みを凝縮したものなのです。だからこそ、待降節をより深く生きることによって、私たちはキリスト者として、ますます喜びに満たされることができるのです。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4・4)。

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