死者の復活 年間第32主日(ルカ20・27~38)

三十五歳くらいの日本人男性が、二十代のベトナム人女性と十二月にベトナムのブンタオにある教会で結婚することになりました。女性はカトリック信者で、男性は信者ではありません。男性はホーチミン市に二年前からコンピュータ関連の仕事のためにやってきましたが、ベトナム語をほとんど話すことができません。それもそのはず、職場では英語を使っているとのこと。そんなこともあり、二人のふだんの会話は英語。結婚講座をしながら、洗礼をどうするかということになりました。日本では片方が洗礼を受けていない場合、「ことばの祭儀による結婚式」で結婚式を執り行いますが、ベトナムの場合は信者同志の結婚式が主流のようです。二人に「どうしようか」と尋ねると、男性の方が「洗礼を受けて、教会で結婚式を挙げたい」ということになりました。

洗礼の準備のために、テキストとしてはネメシェギ神父様が書かれた『キリスト教とは何か』(女子パウロ会)を使うことにしました。ちょうどこの本をベトナムに持ってきていたので、彼に貸すことにしました。聖書、信仰内容、教義などについて説明し、「死者の復活」という箇所になると、けっこう難しいなあと感じました。四つの福音書に出てくる復活の場面、一コリ15章の復活に関する記述を一緒に読み、さらにこのテキスも確認してみました。そこには、「復活した体はもはや時間と空間の法則に制約されません。門を閉ざしていてもイエスは現れることができ、彼がわたしたちと共になるために、空間を通して動いたり時間をかけたりする必要はありません。ですから、空間的・時間的なものしか想像できないわたしたちは、復活体の有様を想像することができないのです」(54ページ参照)。また合わせて井上洋治神父様の『キリスト教がよくわかる本』を読んでみると「復活したからだは、現在のからだのように三次元の拡がりを持つものではなく、目に見えるからだではないということになります。従って、大けがをして死んだ人が、大けがをしたからだで復活するなどということはありません。ただ、復活したそのからだがどういうものかは、残念ながら目に見えないものを想像し、視覚化することのできない私たちは想像することができません」(205頁参照)。

その点で、今日のみことばに出てくる「神は死者の神ではなく、生きている者の神である。すべての人は、神において生きているからである」(ルカ20・38)が、死者の復活について明解に表現しています。原点に立ち返ってみると、分かりやすいものです。

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