ザアイカのようになるという種 年間第31主日(ルカ19・1〜10)

私たちは、どのような時におん父から恵みをいただいたかということが分かるでしょうか。おん父は、私たちがその時、その場所に必要な人や物事、また、精神的、肉体的、霊的な恵みを与えてくださるお方ではないでしょうか。私事で恐縮ですが、私の場合は、たくさんの人との出会いを通して、おん父が私に必要な人や場所、時間をくださっているような経験をさせてくださったことがあります。コヘレトの書ではありませんが、「天の下のすべてのものには、その時期があり、すべての営みにはその時がある。……実際、人がみな、食べたり飲んだりして、労苦によって得たものを楽しむこと、これこそ神の賜物であること。わたしは知った。神の業は、すべて永遠に変わらず、これに何を加えることも減らすこともできないことを。」(コヘレト3・1〜14)とありますように、おん父は、私たちに必要な時に必要なものをくださっているのです。

きょうのみことばは、徴税人ザアカイの回心の場面です。イエス様と弟子たちは、もうすぐエルサレムに着くというエリコまで来られました。その町の中をイエス様たちが通られたとき、徴税人の頭であるザアカイは、彼らが来られたことを耳にします。彼は、イエス様が徴税人仲間とよく食事をしたり、話をしたりされるのを知っていましたし、イエス様に出会って、変えられた仲間を知っていたのではないでしょうか。彼は、自分も【変わりたい】と思っていたのかもしれません。徴税人は、同胞であるユダヤ人たちから税金を取りたて、異邦人であるローマ人に税金を納めていました。たぶん、彼らはいくらかの手数料を徴収した中から自分たちの蓄えとしていたのでしょう。さらに、ザアカイは、徴税人の頭であり、お金も持っていました。しかし、彼の心のどこかには、寂しさやむなしさ、ユダヤ人としての誇りを持っていたのでしょう。

彼は、イエス様たちのことを聞いて、イエス様を見ようとします。みことばには、「彼はイエスがどんな人か見ようとしたが、人が大勢いたので、見ることができなかった。背が低かったからである。」とあります。これは、ただ単に彼とイエス様たちの場面描写だけではなく、イエス様と私たちの関係とも言えるかもしれません。みことばは、私たちがイエス様を求めていても、自分の中の罪深さ、欠点があったりして、すぐにイエス様のところに行くことができない、【何か】がある、ということを表しているのかもしれません。

それでも、ザアカイは、「先の方に走って行き、そこを通られるはずのイエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った」のでした。彼は、自分の前の障害や欠点があっても、諦めることなく、「変わるなら、このチャンスしかない」という思いで必死になってイエス様が通られる【はず】の道を先回りし、なおかつ、恥も外聞もなく【いちじく桑の木】に登ってイエス様を見ようとしたのです。私たちは、これほどまでして、イエス様を見ようとしているでしょうか。

イエス様は、ザアカイが登っていたいちじく桑の木の前に来られると足を止められ、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日、わたしはあなたの家に泊まるつもりだ」と言われます。イエス様は、ザカイアがエリコの町にいることをなぜかご存知だったし、さらに、彼の背が低く、群衆に阻まれていることから、いちじく桑に登ってまでご自分を見ようとしたこともご存知だったのです。イエス様は、私たちの欠点だけでなく、何とかして回心したい、という気持もすべてご存知なかたなのです。

イエス様は、ザアカイに「今日、わたしはあなたの家に泊まるつもりだ」と言われます。ザアカイの心に、このイエス様の言葉はどのように響いたのでしょう。彼は、イエス様がどのような人か見ようとしただけでした。そう、彼は【ただ見るだけ】で何かが変わるだろう、と思っていたのかもしれません。しかし、イエス様は、彼の思いをはるかに超えていました。彼の名前を呼ばれ、さらに、彼の家に泊まろうと言われるのです。ザアカイという名前のところに“ご自分”の名前を入れてみるといいかもしれません。

ザアカイは、急いで下りて来て、喜んでイエス様を迎えます。彼とイエス様の間には、人という【障害】も身長の【欠点】もすべて取り除かれ、イエス様の温もり、声、笑顔を身近に感じることが距離まで縮まっていました。イエス様は、寂しい人、ご自分を心から必要としている人、虐げられている人、何か分からないけれど変わりたいと望む人に対して、ご自分から近寄られ、名前を呼び、癒してくださるお方なのです。イエス様は、「人の子が来たのは、失われたものを捜して救うためである」と言われます。イエス様は、『迷った羊』を捜され、救われるように、私たち一人ひとりを【捜され】、【救われ】るお方なのです。私たちは、もっと自分の障害ですら差し出し、「イエス様!!」と心から叫んで、何とかしてイエス様を身近に感じ、出会うことができたらいいですね。

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