エゴではなくエコ的に生きるという種 年間第30主日(ルカ18・9〜14)

「小さな親切、大きなお世話」という言葉があります。「本人は善かれと思って相手したことが、相手にとっては迷惑となる」といようなときに使うことばです。例えば、「あなたのために○○してあげたからね。」とか、「せっかくしてあげたのに、感謝もしないしのだから」とか、逆に「あの人に頼むと、しなくてもいいことまでするから……」というような場面にであったことはないでしょうか。

では、こういわれないためにはどのようにすればいいのでしょうか。「○○さん○○しますか?」「○○してもいいですか?」と相手に尋ねてみることではないでしょうか。そして、もし相手からお願いされたらそれを行うという形に変えてみると同じことをしてもずいぶん違って来ると思います。前者は、主体が「自分」となっていることに対して、後者は、「相手」となっています。ここに私たちが気がつきにくい「エゴ」が潜んでいるような気がいたします。

きょうのみことばは、ファリサイ派の人と徴税人の祈りの譬え話です。みことばは、「自分を正しい人間であると思い込み、他の人をさげすむ人々にイエスは語られた。」という言葉から始まっています。このような性格の人は、今の私たちの時代だけではなくイエス様の時代にもいたのでしょう。この一節を注意してみますと「自分を正しい人間であると【思い込み】、他の人をさげすむ人々」とあります。この対象の人は、かなり手強い人ではないかと思うのです。この【思い込み】ということは、「実際は、まったく間違っているのに、自分は正しいことをしている」と思っているような人のことです。ですから、他の人から、自分の間違いを指摘されると、否定したり、拒否したり、時には逆切れされるということになってしまうのです。さらに、相手の意見に耳を貸すことをしませんから、何かを作業したり、話し合いをしたりということがうまくまとまらないこともあります。

このファリサイ派の人は、神殿に祈りに行き「胸を張って立ち、心の中でこう祈った、『神よ、わたしが他の人たちのように、……またこの徴税人のような者でもないことを、あなたに感謝します。』」と祈り始めます。彼は、他人と比べていかにも自分が正しい人として、他の罪人と違うことをアピールして「胸を張って」祈り始めます。このファリサイ派の人が挙げたような罪を犯したような人は、確かに私たちの身近なところにはいないことでしょう。しかし、私たちは何かしら、三位一体の神様に対して罪を犯しているものです。たぶん、このファリサイ派の人も罪を犯しているでしょうし、そもそも彼が他人と比べながら祈るということ自体、しっかり罪を犯しているとこになります。

さらに、彼は「わたしは週に2度断食し、全収入の十分の一を納めています。」と祈ります。これらの行為に対しての規定は、律法にないようです。彼は、他の人に自分がどれだけ祈り、神のために尽くしているのか、ということを知らせたいということだけのためにこのような行いをしているのです。残念ながら、まったくの【自己満足】であり、【エゴ】ための祈りに過ぎなかったのです。

それに対して徴税人は、「目を天に上げようとはせず、胸を打ちながら、『神よ、罪人であるわたしを憐れんでください』」と一言だけ祈っています。彼のこの祈りの姿こそ私たちの祈りではないでしょうか。『意識の糾明』の中に最初に感謝の祈りがあります。この祈りは、まず、自分に与えられた出来事、環境、健康などを三位一体の神から頂いたことを感謝するものです。しかし、この感謝とファリサイ派の感謝とは全く違うものです。私たちの祈りは、いつも三位一体の神に向かうものでなければならないものなのではないでしょうか。徴税人の祈りは、目線は下を向いていますが、心は、おん父へ向かっています。また、自分が罪人であることを自覚しそれでも、【憐れんでください(いつくしみと愛をください)】と祈っています。彼は「私にはあなたの愛がなければ生きていくことができないのです。」と祈っているのです。そこには、おん父への100%の信頼と委ねる心、また、謙遜な心が表れています。

パウロは、「わたしは善い戦いを戦い、走るべき道程を走り終え、信仰を守り抜きました。この後、わたしのために用意されているのは、義の冠だけです。……わたしばかりでなく、主の現れを心から待ち望む人には、誰にでもこれを授けてくださいます。」(2テモテ4・6〜8)と言っています。一見、「エッ」と思うような言葉ですが、「誰にでも、義の栄冠を授けられる」と言っています。パウロがこのように言えるということは、主なる神様への信頼と謙遜な心があったからではないでしょうか。私たちは、日常の生活の中で高ぶることなく、謙遜な心を持ちながら「エゴ」ではなく自分にも周りにも優しい「エコ」的な生活を送ることができたらいいですね。

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