イエスに従う 年間第13主日(ルカ9・51~62)

今日の福音は、第一朗読(列上19章16b、19~21)と比較しながら味わうと興味深いものです。

第一朗読ではエリシャの召命が語られます。そこではエリアがエリシャに外套を投げかけ、預言者としての使命を与えます。エリシャは牛を捨て、エリアの後に従いますが、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」(列上19・20)と語ると、エリアはそれを許し、その後でエリアに従っていきます。確かに、牛を捨てていくことは、生活のすべてを捨てていくことと同じですが、両親への別れの挨拶を行っていく時間は、エリアから与えられました。

それに対して、福音のほうはどうでしょうか。「イエスはほかの人に、『わたしに従いなさい』と仰せになった。すると、その人は、『まず、わたしの父を葬りに行かせてください』と言った。そこで、イエスは仰せになった、『死者は死者に葬らせなさい。あなたは行って、神の国を宣べ伝えなさい』」(ルカ9・59~60)と。さらには「イエスは仰せになった、『鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない』」(ルカ9・62)とも語ります。旧約聖書の内容からすると、とても厳しい内容になっています。

なぜイエスはこのように厳しく語るのでしょうか。イエス自身、自分の故郷では見捨てられてしまったり、サマリアでは、村人たちがイエスを歓迎せず、とても冷たい対応に遭遇しました。「人の子には枕する所もない」(ルカ9・58)と語るほどに貧しさの極みの中で生きていったのも確かです。イエスの足跡に従いたいと決意する者には、これほどの厳しい条件を求めるのかもしれません。同時に、キリストに従うためには、家族、家、財産を捨てるほどの覚悟が求められるのでしょう。人生の中で、イエスに従うためには、何が大切なのかを私たちに問いかけてくれるような気がします。

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