ロザリオの聖母

10月7日はロザリオの聖母の記念日です。ロザリオの祈りがどのように生まれたのかは明確ではありません。ロザリオの祈りに限らず、単純な祈りを繰り返して唱える祈りは、古来よりおこなわれていたようです。おそらく、修道院などで、150編の詩編を唱える代わりに、「アヴェ・マリアの祈り」を150回繰り返すようになり、広まっていったものと考えられています。ラテン語が日常的に使われなくなるにつれ、ラテン語で詩編を暗唱することが難しくなっていったためと思われます。

しかし、このロザリオの祈りが全教会に広まったのは、聖ドミニコ(1170~1221年)とドミニコ会士のはたらきによるものです。ドミニコは、当時、特にフランス南西部に拠点を持っていたアルビ派の異端と戦っていましたが、そのための「祈りの武器」としてロザリオの祈りを奨励したのです。また、ドミニコ会士であった教皇ピオ5世(1504~1572年)は、教会内ではじめて公式にロザリオの祈りを勧めました。10月7日をロザリオの聖母の祝日と定めたのもピオ5世です。1571年10月7日に、教皇は、スペイン、ヴェネチアと連合してオスマン・トルコと戦い、勝利を収めました。いわゆるレパントの海戦です。この勝利は、ロザリオの祈りの力によるものと受け止められたため、ピオ5世はこの日をロザリオの聖母にささげたのです。

現在の「ロザリオの祈り」は、単純に「アヴェ・マリアの祈り」を繰り返すだけでなく、イエスの救いのわざにおいてマリアに関連するいくつかの場面を結びつけ、黙想できるようになっています。教会は、伝統的にこれを5つの場面ずつ3つのまとまりに分けてきました。「喜びの神秘」(マリアへのお告げ、マリアのエリサベト訪問、イエスの誕生、イエスの奉献、イエスが神殿で発見される場面)、「苦しみの神秘」(ゲツセマネでのイエスの祈り、イエスが鞭打たれる場面、イエスがいばらの冠をかぶせられる場面、イエスが十字架を担う場面、イエスの死)、そして「栄えの神秘」(イエスの復活、イエスの昇天、聖霊降臨、マリアの被昇天、マリアの栄冠)です。これに対し、前教皇、福者ヨハネ・パウロ2世は使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』の中で、新たに「光の神秘」(イエスの洗礼、カナの婚宴でのイエスの最初のしるし、イエスによる神の国の告知、イエスの変容、聖体の制定)を付け加えるように提案しました。たとえ聖書に明確な記述がなくとも、マリアは、イエスの公生活の間も、近くからイエスに従い、救いのわざにかかわり続けました。このため、ヨハネ・パウロ2世は、イエスの公生活の場面を黙想する「光の神秘」を加えることによって、マリアとともにイエスの救いの神秘をより全面的に深めることができるようにしたのです。

マリアの神秘は、常にイエスの救いの神秘に結びついています。ロザリオの祈りは、このことをはっきりと示しています。わたしたちは、マリアとともに歩むことによって、イエスの神秘により深く分け入り、イエスとの内的一致を実現することができるようになるのです。

ロザリオの聖母の記念日を荘厳に祝うミサでは、ルカ福音書1・26-38が朗読されます。ヨセフのいいなづけであったマリアのもとに大天使ガブリエルが現れ、聖霊の力によってマリアから男の子が生まれること、またその子がどのような者となるかが告げられます。

教会は、マリアを特に2つの視点から受け止めています。第一に、神の子イエス・キリストの母となるという特別な使命を受けた方としてとらえています。マリアは、救いの歴史において、ほかのだれにも与えられなかった、またこれからも与えられることのない使命を受けました。それは、大天使ガブリエルの言葉に示されています。「あなたは身籠って男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい。その子は偉大な者となり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主は、彼にその父ダビデの王座をお与えになる。彼はヤコブの家をとこしえに治め、その治世は限りなく続く」(ルカ1・31-33)。「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを覆う。それ故、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(1・35)。神は、この特別な使命にあわせて、数々の恵みをマリアにお与えになります。特に、生まれたときから原罪の汚れを免れていたという恵み、夫ヨセフとかかわりを持たずにイエスを宿すという恵み、死んですぐに天に上げられるという恵みです。マリアは、その使命のゆえに、特別な形でイエスと結ばれた方であり、それは天に上げられた今でも同じです。だから、教会はマリアを特別な取り次ぎ手として、マリアに祈ります。マリアに祈ることは、マリアと結ばれているイエスに祈ることになると信じているからです。

その一方で、教会は、マリアをわたしたちの模範として受け止めています。いかに特別な恵みを受けたといっても、マリアはわたしたちと同じ人間でした。最初から、神のみ心を全面的に理解していたわけでもありませんし、何の苦労もなく、ゆだねられた務めを果たすことができたわけでもありません。弱さと苦しみの中で信仰の道を歩み抜いたのです。たしかにマリアは、天使の言葉に対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(1・38)と答えました。「主から告げられたことが成就すると信じた方は、ほんとうにお幸せなことです」(1・45)との言葉をエリサベトから受けました。聖霊の恵みにより、「おとめ」のまま、イエスを生みました。しかし、生まれてくる子についての天使の説明を理解したわけではないようです。実際、天使に対するマリアの答えは、自分から神の子が生まれることに対してではなく、男性を知らない自分から子どもが生まれることに対して向けられています(1・34「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」)。イエスが生まれて、羊飼いたちがやって来ると、マリアは「これらのことをことごとく心に留め、思い巡らして」(2・19)いました。イエスを神殿にささげるとき、預言者シメオンがイエスを抱き上げ、神をほめたたえると、「父と母は、幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思」(2・33)いました。イエスが12歳のとき、神殿で見つかったイエスの言葉を聞いたとき、「両親には、イエスの言葉の意味が分からなかった」(2・50)のです。マリアは、理解できないながらも、そして心を「剣で貫かれ」(2・35)ながらも、神のみ心を探し求め、神から与えられた務めの意味を深め、これを果たし続けたのです。この意味で、マリアはわたしたち、すべての信仰者の模範であり、わたしたちはマリアの歩みに自分の歩むべき道を見いだし、マリアにならうことによって救いにいたることができるのです。

ロザリオの祈りは、喜び、光、苦しみ、栄えのすべての神秘において、マリアと自分を重ね合わせながら、マリアとともにイエスに一致することができるように、わたしたちを助けてくれます。同時にわたしたちは、この祈りを唱えながら、神の母、教会の母であり、天の栄光の中でイエスとともにいるマリアに、子としての愛と信頼をもって、取り次ぎを願い求めるのです。

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