聖ヨハネ・レオナルディ司祭

聖ヨハネ・レオナルディ司祭の典礼上の記念日は10月9日です。ヨハネ・レオナルディは、1541年中部イタリアのルッカ近郊に生まれました。当時は、教会生活のさまざまな面で刷新の必要性が叫ばれていました。同時に、プロテスタント運動が起き、教会は混乱と対立の時代を生きていました。しかし、一方で多くのすぐれた聖職者、修道者、信徒が教会に与えられた時代でもありました。ヨハネ・レオナルディも、その一人でした。彼は17歳になるころから薬学を学び始めます。このころドメニコ会の司祭たちが指導するグループの一員となり、教会刷新への思いをはぐくんでいったようです。このような体験をとおして、彼は次第に司祭職への召命を感じるようになり、薬学の道を捨てて、哲学・神学を学びました。そして、32歳のときに司祭に叙階されました。

ヨハネ・レオナルディが最初に力を注いだのは、要理教育の刷新でした。彼は、信徒による要理教育のためのグループを組織し、司教の認可を受けた規約のもと、組織的で一貫した要理教育をおこなおうとしました。要理教育、特に子どもたちの信仰教育をとおして、教会を刷新しようとしたのです。

その後1574年に、レオナルディは「おとめマリアの刷新された司祭たちの修道会」を創立します。この会は、後に「神の母の聖職者修道会」として認可されます。最初の呼称にある「刷新された司祭たち」という表現からもわかるとおり、レオナルディは、教会刷新のために聖職者の刷新が必要であると考えていました。レオナルディは、この修道会の会員が常にキリストを中心とした生活をはぐくみ、そのために自分自身から内的に離脱し続けるよう定めました。そして、神のみ心にこたえるための道具として自分自身を成長させ、霊のはたらきにすべてをゆだねる勇気を持つよう招き続けました。彼は、新しい規則が必要なのではなく、キリストへの全面的な奉献を徹底することこそが教会を刷新するということを知っていたのです。

レオナルディのキリストへの熱意は、教皇の依頼もあって、彼と彼が創立した修道会をさまざまな務めへと駆り立てていきます。特に、大きな勢力を持ちながら、世俗とのかかわりの中でさまざまな問題を抱えていたいくつかの修道会の刷新のために尽力します。ここでも、レオナルディの姿勢は明確でした。修道誓願を一貫して忠実に生きること、それを妨げるあらゆる不正を切り捨てることです。しかし、彼は非現実的で理想主義的な視点を強要したわけではありません。根本的な要素を堅持しながらも、人間の弱さを十分に考慮した現実的な修道生活を探求するよう招いたのです。

レオナルディは、1607年から1608年にかけて、ほかの数名の人々とともに、福音宣教のための神学院設立に尽力します。この神学院(現在も、教皇庁福音宣教省に属するウルバノ大学や各種神学院としてその活動を続けています)が公的に設立されたのは、レオナルディの死後、1627年のことですが、彼が最初の、そして決定的な影響を与えたのは確かです。福音宣教が本来の実りをもたらすためには、自分の望みを追求するのではなく、キリストのみ心のみを求める司祭、真の使徒である司祭を養成することが重要であるとする考えは、要理教育への献身、「神の母の聖職者修道会」の創立にも通じる、レオナルディの一貫した姿勢です。

レオナルディは、このようにさまざまな形で教会の刷新に尽力した後、1609年にローマで帰天しました。

聖ヨハネ・レオナルディを記念するミサの福音では、ルカ5・1-11が朗読されます。最初の弟子ペトロがイエスに呼ばれる場面です。共観福音書の中でも、ルカ福音書は特にこの出来事を生き生きと描き出しています。

イエスを中心として、ゲネサレト(ガリラヤ)湖畔で二つのグループが交錯します。一つは、イエスが語る「神の言葉」を聞こうとして、イエスの「周りに押し寄せて」来る群衆です(1節)。もう一つのグループは、夜半におこなわれた漁を終え、岸に上がって、後片付けをしている人たちです。彼らは、(少なくとも直接的には)イエスに興味を持っているわけではありません。むしろ、早く後片付けをして家に帰り、休息しようとしているようです。ペトロは、こちらのグループにいます。

イエスは、押し寄せる群衆に語るために、舟に乗って岸に漕ぎ出し、群衆と少し距離を置いて話をしようとされます。その舟は、ペトロの持ち舟でした。「イエスは、……シモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた」(3節)。ルカ福音書は、このときペトロがどのように感じたか、まったく記していません。しかし、イエスの求めに応じて舟で沖に出たのですから、イエスが教えておられた間はずっと舟の中にいなければならなかったはずです。ペトロにしてみれば、すぐにでも家に帰りたかったでしょうから、面倒なことになったと感じたことでしょう。後でわかるように、夜の漁では何もとれなかったので、ペトロはいらいらしていたかもしれません。しかし、イエスがペトロを巻き込み、理由はどうあれペトロがイエスの求めに応じたことをきっかけに事態が動き始めます。

さて、イエスは群衆への話を終えると、ペトロに呼びかけます。「沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい」(4節)。ペトロは、すぐに答えます。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」(5節)。ペトロは漁師であり、自分の腕にそれなりの自身を持っていたことでしょう。イエスがいかに高名な先生であるとはいえ、漁に関することで命令されるのは心外だったかもしれません。しかし、ペトロの言葉はそれで終わりません。「しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう」(5節)。とにもかくにも、ペトロはイエスの言葉に従ったのです。

すると、ここから事態は急転します。「漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」(6節)。ペトロの予測に反した事態、いやペトロのまったく予測していなかった事態が生じるのです。ペトロは、驚きとともに、「イエスの足もとにひれ伏し」ます(8-9節)。

イエスは、ペトロに呼びかけます。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(10節)。こうして、「ペトロは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」のです(11節)。

このエピソードは、ペトロの心の動きをよく表しているように思います。最初、ペトロは漁のこと、その後片付けのことに専念していて、イエスのことをほとんど考えていません。しかし、イエスのほうがペトロを巻き込み始めます。ペトロは、イエスを全面的に信頼したわけではないでしょうが、断ることもせず、イエスの望みに従います。すると、ペトロはイエスの言葉の力をまざまざと見せつけられます。こうして、最後には、すべてを捨てて、全面的にイエスに従う者となるのです。ペトロは、イエスに巻き込まれ、イエスがなしとげてくださる出来事を体験しながら、次第にイエスの弟子としてはぐくまれ、「人間をとる漁師」、「福音宣教者」となるのです。

すべてのキリスト者、特に司祭が、ペトロのように少しずつ「キリストの使徒」、「福音宣教者」として成長していくこと、これこそ聖ヨハネ・レオナルディが、要理教育や司祭養成、刷新の中で目指していたことと言えるでしょう。キリスト者一人ひとりがイエス・キリストとのかかわりをとおして毎日成長し続けることなしに、福音宣教や教会刷新はなしとげられないのです。さまざまな「現実的」問題をかかえる今日の日本の教会の中にあっても、この根本的要請に変わりはありません。特に、この司祭年にあたって、すべての司祭、すべてのキリスト者が、日々キリストへの全面的な信頼へと成長していくことができればと思います。

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