無関心にならないという種 年間第26主日(ルカ16・19〜31)

マザー・テレサは、「愛の反対は、憎しみではなく無関心です。」と言われました。私たちは、人を憎んだり、悪口を言ったりと相手に対してネガティブな思いを抱くこともあるかもしれません。そして、その後で「ああ、どうして私は、あの人に対してあのような態度をしてしまったのだろうか」と自己を振り返ってしまうことでしょう。こう思うということは、相手に対して「何か思う所がある」からではないでしょうか。もし、私たちが相手に対して、無関心であり、自分とは何も関係がない存在でしたら、憎むことも、心配することも、関わろうとすることもないと言ってもいいでしょう。ここには、全く「愛」はありません。

きょうのみことばは、『金持ちと貧しいラザロ』の譬え話です。この2人は、とても対照的でした。みことばには「ある金持ちがいた。彼は真紅の着物や柔らかい亜麻布の服を着て、毎日、贅沢に楽しく暮らしていた。ところが、この金持ちの門前には、ラザロという、体中にできものがある、貧しい男が座っていた。彼は金持ちの食卓からこぼれ落ちるもので、腹を満たしたいと願っていたが、犬までも寄ってきて、その男のできものをなめていた。」とあります。

金持ちの方は、自分の生活に対して何も不自由はなく毎日贅沢に楽しく生活しています。彼が着ている【真紅の着物や柔らかい亜麻布】というのは、王や貴族が着ている服でした。きっと、彼はこのような生活をしていることに何の疑問もなく、当たり前だと思っていたのでしょう。かたや、ラザロの方は、体中にできもがあって、人々から罪人と軽蔑されていたことでしょうし、金持ちの食卓からこぼれ落ちるもので、腹を満たしたいと思っているほどでした。この「こぼれ落ちるもの」というのは、別に食卓に食べ残しと言うことではないようです。当時は、ティッシュペーパーというものがありませんでしたから、パンで肉料理を食べる時についた手や口についた油を拭いていました。彼は、そのパン屑で腹を満たしたいと思っていたのでした。さらに、汚れた動物と言われる「犬」までもが、彼のできものをなめていたということですから、彼は生きている間、人から蔑まれ無視され、屈辱に耐えていたという生活を強いられていたのです。

そんな中、2人とも亡くなり、貧しかったラザロは、アブラハムのふところに連れていかれ、金持ちは、陰府(よみ)で苦しむことになります。金持ちは、「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロを遣わして、その指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。」と頼みます。砂漠の中で生活をしているパレスチナ地方の人は、「水」は貴重なものでした。金持ちは、自分のために「ラザロを遣わして欲しい」と願うのです。金持ちは、「ラザロ」と名前を呼んでいるのですから、彼の存在は知っていたことになります。また、彼は、自分自身の苦しみから解放されたいがために「彼を遣わして欲しい」という【自己中心的】な思いでアブラハムに願っています。さらに、金持ちは、家族の者に対して自分と同じような苦しみを味わうことがないように、「わたしの父の家にラザロを遣わしてください。」と願います。彼は【陰府】の苦しみを味わいながら、今度は、自分の家族のことを思ったのです。これは、彼が悔い改めたと言うことではなく、あくまでも、【自分の家族】への心配でした。ここでも、彼の【自己中心的】な思いでアブラハムに願っているのです。

イエス様は、譬え話の中で、金持ちが「罪を犯した」ということは言われていません。また、ラザロが善を行ったということも言われていません。イエス様は、彼が罪を犯したから陰府の苦しみを受けていると言うことではなく、門前に座っているラザロを知っていたにも関わらず、彼に対して何も施さなかった、「愛」なさを指摘し、さらに、彼の「自己中心的」な傾きを指摘したのではないでしょうか。ある神父様が「罪は、愛の欠如なのです」と言われていたことを思い出します。

アブラハムは、「モーセや預言者たちに耳を傾けないなら、たとえ、誰かが死者の中から生き返っても、彼らはその言うことを聞かないであろう」と言っています。「モーセや預言者」というのは、【みことば全体】ということです。みことばに【耳を傾ける】ということは、みことばを通して「私と神様」の関係を振り返ると言うことではないでしょうか。私たちの生活、行動、言葉は、神様と善い関係を保つことができているでしょうか。パウロは、「神の人よ、……そして、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の善い戦いを戦い、永遠の命を勝ち取りなさい」(1テモテ6・11)と伝えています。私たちは、みことばや周りの人から頂く三位一体の神様の声に「耳を傾け」、パウロが伝える【信仰の戦い】を目標にしながら、歩くことができたらいいですね。

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