不平不満か感謝か キリストの聖体(ルカ9・11b~17)

五島列島の久賀島に「ろうや牢屋のさこ窄」という殉教地があります。私も巡礼で何回となく訪問しました。一八六八年、明治政府の時代になってもキリスト教に対する迫害が続き、この島に住む信徒たちが捕えられ、残酷な責め苦を受けました。しかも十二畳ほどの狭い牢(民家を改造して作った牢獄)に、二百名余が押し込められました。十二畳と言われてもあまりピンときませんが、実際に現地へ行って目にすると、その様子がよく分かります。これは畳1枚あたり十七人が押し込められ、狭い空間にあってゆっくりと横になって寝ることもできず、排泄もその場で行うほどの想像を絶する惨状でした。同時に、男女を問わず牢から引き出され、子どもに至るまで、厳しく棄教を迫られ、ひどい拷問を受けました。信徒達はこの場所で八か月にわたりこの弾圧を耐えしのびましたが、飢えや病、拷問のために三十九名が死亡し、出牢後の死者三名を加えると四十二名の信徒が殉教しました。この牢獄の中で、食べ物はサツマイモ程度でした。しかも少量で、かなりの空腹を覚えていきました。わずかな食糧を自分の分は犠牲にして、自分の子どもに分け与えた親もいます。そんな過酷な状況に立たされた時、「たったサツマイモだけ」と思うか、「サツマイモがある」と感謝するか、ずいぶん捉え方が違うものです。殉教者たちの気持ちは、後者でしょう。

今日の福音の中で、弟子たちは「わたしたちにも、五つのパンと二匹の魚しかありません」と言います。正確には、「わたしたちは、パン五つと魚二匹以上に持っていない」という意味になります。これだけの人数のためには何の役にも立たないと考えます。それに対して、イエスは「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美をささげ」ていきます。同じ数でも弟子たちは不平不満の気持ちですが、イエスは賛美していきます。同じことでもこのように違ってきます。

同じものでも、私たちは不平不満の言葉を並び立てるのか、それとも賛美と感謝の気持ちを持つのでしょうか。今日の箇所から、私たちの生き方、考え方が問われています。

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