探してくださるという種 年間第24主日(ルカ15・1〜10)

「ビリギャル」という映画や小説があります。それは、小学校4年生ほどの学力の高校3年生の子が、偏差値を40以上上げて、慶応大学に合格すると言う実話をもとにしたものです。この中で素晴らしいのは、本人はもちろんですが、母親の「この子はうまくいく」という愛情や予備校の先生の熱心さ、予備校の仲間の支えがいかに彼女を励まし、救ったかということでした。もう一つ、目を引くのは、甲子園を目指していた弟の存在です。父親は自分の息子を甲子園に行かせるために必死になっていたのですが、あるとき息子がスランプにぶつかり、断念してしまうのです。今までは、家族の目が弟への期待だったのが崩れ、姉の方に向かって行ったというところです。

きょうのみことばは、「見失った羊」と「なくした銀貨」の場面です。この後に「放蕩息子」の話が出て来て、三位一体の神の【あわれみ】の三つの譬え話と言われている箇所です。みことばは、イエス様のところに徴税人や罪人たちが話を聞こうとして集まり、一緒に食事をするというところからは始まっています。福音書の中でよく目にする光景ですが、いつもこのような場面では、ファリサイ派や律法学者が出て来て、イエス様の行動を批判するのです。今回の箇所でも彼らは、「この人は罪人たちを受け入れて、食事をともにしている」とつぶやきます。

パレスチナ地方では、食事をとても聖なるものとされていました。マルコ福音書の中で手を洗わずに食事をしている弟子たちをファリサイ派の人や律法学者が批判する箇所があります(マルコ7・1〜13)。彼らは、聖なる食事を「汚れた手」でしていることを批判したようです。同じように、彼らは、イエス様が、徴税人や罪人と食事をして、神聖な食事を汚しているということを批判したのでした。ここで言われる、【罪人】というのは、律法を守ることができない人やローマのために税金を人々から多めに徴収し、私腹を肥やしていたと言われる徴税人たちでした。たぶん、罪人と言われる人たちは、後ろめたい気持があったのでしょう。そんな自分たちでさえも受け入れて話しを聴いてくださり、食事をしてくださるイエス様のところに彼らは安らぎと平安を求めて、集まって来たのでしょう。ファリサイ派の人たちや律法学者は、罪人である彼らを受け入れて食事をするイエス様に対して、批判したのでした。しかも、みことばには、「……とつぶやいた。」とあります。この【つぶやき】という中には、「不平、不満」といった意味で使われているようです。

さて、イエス様は、ファリサイ派や律法学者のこれらの「不平、不満」また、自分たちは正しく、徴税人や罪人たちを見下している態度に対して「譬え話」をされました。最初の喩えは、「100匹の羊」を持っている人が、見失った1匹の羊を探しに行き見つけ出すというものです。パレスチナ地方に限らず羊や山羊、ラクダやロバなどは、財産として考えられていました。この人は、100匹の羊を持っていたということですからかなりの財産だったでしょうし、それ以上に1匹、1匹に名前を付けて家族のように愛情を注いでいました。この羊飼いは、その中の1匹を見失ってしまったのです。逆に迷子になった羊は、好奇心があってあちらこちらに行っているうちにいつの間にか群れから外れたのかもしれません。周りにいるはずの他の羊はいなくなり、群れに戻ろうとしても戻れず、自分を狙う他の獣への恐怖や自分のことを心配している羊飼いや他の羊たちのことを考えて心細くなったのではないでしょうか。一方、羊飼いは、どこに迷ったのか分からない1匹の羊を一生懸命に捜し出したのです。みことばでは、「見つけ出すと、喜んで肩に乗せて、……『一緒に喜んでください。見失ったわたしの羊を見つけましたから』」とあります。もちろん、羊飼いの喜びもありますが、迷った羊も自分を見つけ出してくれた羊飼いへの感謝も気持で一杯だったのではないでしょうか。

「迷った羊」や「失った1枚の銀貨」の気持は、見つけてくださった「方」への感謝、愛情の深さ、温かさ、安らぎを他の99匹や9枚の銀貨以上に感じたことだと思います。この気持は、私たちと三位一体の神様との関係と言ってもいいのではないでしょうか。私たちは、時にはイエス様の所から離れてしまうことがあります。そんな私たちをイエス様は、一生懸命になって探してくださり、受け入れ優しく肩に乗せてくださるお方なのです。イエス様は、「どこに行っていたの、なぜ、いつも迷惑をかけるの」とは言わず、「一緒に喜んでください」と言ってくださるのです。イエス様は、私たちがどんなに罪を犯しても、失敗しても、イエス様から離れて行っても、辛抱強く探し、見つけてくださり、愛してくださるお方なのです。私たちは、そんなお方が側におられる、私は1人ではない、という安心感を持つことができたらいいですね。

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